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「中国永久居留証」001番の秦範雄

2019年 7月 11日9:27 提供:東方網 編集者:王笑陽

上海で起業

 1987年の夏ごろ、香港神明電機有限公司の総経理となっていた秦範雄は、日本の神明電機本社が上海への投資を検討していたので、現地視察のために社長と一緒に上海を訪れた。視察の結果、神明電機は上海十六無線工場(上海无线电十六厂)との合弁契約にサインし、上海の閔行区で工場を作る計画を立てた。こうして1988年6月、上海神明電機有限公司が設立。上海の電子部品製造領域における、初の中国資本と外資との共同出資による企業となった。

 秦範雄によると、当時上海で起業するのは非常に難しいことだった。工場づくり、生産設備の購入、生産環境の整備、求人、どの段階でも関係部門の厳しい審査を受け、許可を得なければいけない。フィージビリティリポートを提出してから最後に当局の認可をもらうまで、100以上のはんこを捺してもらうことが必要だった。それだけでなく、工場が落成したあとも、電気通信、用水、汚染物質の排出などを関係部門へ報告して記録に残さなければならない。

 そのためにあちこち奔走する必要のある秦範雄にとって、中国の運転免許の申請が急務となった。だが1回目に申請した時、「外国人は絶対に中国で運転免許を取れません」と言われた。なかなか諦めない秦範雄は3回申請してようやく許可をもらった。しかし、名前が中国的だったために免許証の「国籍」欄は、日本ではなくて中国になってしまった。それにしても秦範雄はこの特別な免許証を75歳まで使い、上海の東西南北を走り回り、黄浦江の両岸を何度も往復したのである。

 起業には大変苦労したが、秦範雄はその時に手伝ってくれた上海の方々への感謝の気持ちを今も忘れない。例えば1988年の上海では、電話1本申請するにも半年かかるのが普通だったが、日本の本社と連絡をしなければならないという苦境に陥った秦範雄は、当時閔行開発会社の総経理であった魯氏にお願いをしてみた。すると意外なことに魯氏は、「じゃ、うちの会社の一部屋を貸しましょう。そこで電話1本を貸します」と言ってくれ、おかげで日本との連絡問題がすんなり解決した。ほかにも、上海神明電機が上海市から免税などの優遇政策を受けられたことなど、秦範雄は当時世話をしてくれた人々にずっと感謝している。

今回のインタビューのために、秦範雄は長年収集した中日友好に関する様々な資料をわざわざ持って来てくれた。写真は上海さくら会十周年の記念誌である。